"二十四の瞳"を読んで
2015年01月25日
読んでいる最中に自分の幼い時のことが浮んできた。

空襲警報が鳴り響くと母から「早く防空壕に入りなさい」と
促されて自宅前の防空壕(県庁近くの国道)に姉、兄と逃げ込んだこと。
防空壕に入ると既に何人かが入っていて、その中には病気の方も
横たわっていた、防空壕の入り口には大の大人が仁王立ち、
その人の股の下したから顔を出して表を見たりした。
その大人が突然大声で「そこに馬をつないではだめだ」と
怒鳴り出した。股の下からみれば県庁前の角に馬の手綱をくくり
つけている人がいた。上空から見れば広い見通しのいいところに
馬がいれば付近は攻撃の標的だったのだ。
また、東京の親戚が国道を隔てたところに疎開してきたこと。
進駐軍が国道をパレード(?)している時にチョコレートだったか
飴だったのかはっきりしないが大きい車の上からそれらを投げたの
を拾ったこと。
父の引くリヤカーについて兄、姉たちと買い出しに行ったこと。
途中でリヤカーに乗せてもらった。
買い出し先は丹波島橋を渡って(北から南)左に折れた旧国道先の
農家だったな。囲炉裏があったな。
自分が置かれていた境遇などを想い出した。
何歳になってもこれらの場面は忘れることが出来ない。

空襲警報が鳴り響くと母から「早く防空壕に入りなさい」と
促されて自宅前の防空壕(県庁近くの国道)に姉、兄と逃げ込んだこと。
防空壕に入ると既に何人かが入っていて、その中には病気の方も
横たわっていた、防空壕の入り口には大の大人が仁王立ち、
その人の股の下したから顔を出して表を見たりした。
その大人が突然大声で「そこに馬をつないではだめだ」と
怒鳴り出した。股の下からみれば県庁前の角に馬の手綱をくくり
つけている人がいた。上空から見れば広い見通しのいいところに
馬がいれば付近は攻撃の標的だったのだ。
また、東京の親戚が国道を隔てたところに疎開してきたこと。
進駐軍が国道をパレード(?)している時にチョコレートだったか
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何歳になってもこれらの場面は忘れることが出来ない。
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この記事へのコメント
ご家族の方が被害に遭わなくてよかったですね。
幼いころの我が家の前の防空壕から
みすず橋までは およそ1キロ位でしょうか。
上空から見ればそれは至近距離、こちらも
被害に遭わなくて よかったです。
私の母から、よく戦争中の話を聞きました。
防空頭巾を被っていたこと。
近所の家に、爆弾が落ちたこと。
当時は、空爆を避けるように、
白壁の家は、黒く塗りたくってあり、
私が子供の頃にも、その名残がありました。
不思議な気持ちで見ていた事が、
思い出されます。
二十四の瞳 懐かしいです。
(⌒‐⌒)
防空頭巾、黒く塗った壁は覚えています。
家の明かりが漏れないように裸電球に風呂敷など
で覆ったのも覚えています。
ほかのことは忘れてしまうのに何故かこの当時の
ことは忘れられません。
本の活字が大きくて助かりました。